反出生主義への対抗意見
反出生主義とは、生まれることおよび子を持つことを否定的に価値づけ、子を持つことを道徳的に悪いと判断する倫理的見解である。
まず、誕生否定と出産否定の二つの区別から始めなけらばならない。
誕生否定とは、すでに生まれてきたことを否定する思想である。
出産否定とは、これから出産に望むことを否定する思想である。
誕生否定について、
まず、世界の人口増加に警鐘を鳴らした演説を抜粋する。
「人口は幾何級数的に増加するが、食糧は算術級数的にしか増加しない。栽培地の地力は消耗しつつあり、耕地面積の拡大にも限度があるのでこのままでは増大する人口を養うに必要なコムギ(すなわちパン) を供給できなくなるだろう。われわれ科学者の双肩にかかる重大かつ緊急の課題である」と具体的な食糧生産量や人口増加数値を示して演説した。
クルックス卿のイギリス科学振興協会の演説、1898年明治29年のことである。
つまり、卿が示した15億人が、人間が化学で地球に積極的に関わらなかった場合の人口上限であり、2020年78億人など到底夢物語であったのである。
地球環境への問題を叫ぶのであれば、ハーバー・ボッシュ法以前の非工業的肥料に頼らざるを得ず、それ以上の人口はすでにもう支えられていない。
また、地球環境に最大の毒物を撒き散らした生物は人間など哺乳類ではなく、酸素などという化学反応性の高い気体を生み出した藍藻を始めとする植物等であり、地球約45億年のうち生命が出揃ったカンブリア大爆発が地球誕生約40億年後、今から5億年前である。もし地球環境を元来の姿に戻すなら、酸素が100分の1以下の環境が正しいと言うことになってしまう。もし誕生否定主義を取り入れるならば植物を含めたほぼ全ての生物に誕生否定主義は適応されてしまうべきである。
出産否定については
まず大別して、自身の子を自身が育てることが大前提として連綿と受け継がれており、過去にスパルタなどで試された、生まれた人間を全体的に一括管理して成人させる体制になっていないことが、幸福の総和として自身の子を育てる説の補強となる。
その上で3点、
1.新たな生命より、今存在する不幸な子供を幸福にすべきと言う意見に対し、養子を取ると言う行為は即ち親は子供を選べる。親は人を選別できるほどエゴを主張できるのか。社会及び養親がこの子は不幸だと決めたエゴはないのか。
2.背理法として、比して苦が大きい故に新たな命を産むべきで無いなら、まず新たな命自身の苦楽を比して苦が大きい可能性が高くなければ成り立たない。親自身の苦楽を比した結果を代入すべきでない。
3.個人の苦楽を比するに、少なくとも母親と言う人間一人が出産を望んでいると言う点から、母と子の2人分の楽の可能性と、苦の可能性、そして産まない母の苦を考えなければならない。鬼子母神や水子供養など産む母の苦は枚挙に暇がないが、そこに産まないと言う点で楽があったわけではない。産み育てる楽があった上で死産不育の苦へ救済を求めたものである。
1により社会全体の総和として養子縁組は経世済民(エコ)なのか唯我独尊(エゴ)なのか不確定であり、2より個人の苦楽として新生命の苦楽は不確定であり、3より少なくとも個人の苦楽比は楽が上回る。1.2.が不確定で3が楽が大な為、社会全体の総和平均として、自身の子を産む方が個人の幸福分、微差だが幸福が大きい。
よって、反出生主義はその立場をとる人を理解できるものの、自説としては取り入れない。
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